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山下さんとの思い出

山下さんと



1990年、写真界である小さな事件が起きた。
都内メーカー系のギャラリー4カ所で私の4つの写真展が行われようとしていたからだ。

私は5年ほどカメラを持つことさえできないほどスランプに陥っていた。
半年間、海外にでることで何とか写真を撮ろうと試みた。

帰国後、撮った写真の中から4つのテーマで作品をまとめ、4カ所のメーカー系ギャラリーの審査を受けた。
全く自信喪失していた私は、一つでも審査に通ればという思いだったが、驚くことに4つとも審査に合格してしまった。

しかも5月に4つの写真展が集中することになってしまった。
つまりは5月の4週すべてどこかで私の写真展をやっているという異例の事態になってしまった。
大御所ならいざ知らず、私のような一カメラマンが、前代未聞の事態に・・・。
このことを知ったある写真界の重鎮が「けしからん」と、もの申した。

私はその方に呼び出され、「メーカー系のギャラリーは、写真文化向上のためプロ・アマ限らず広く写真を愛する人たちのためにある。その場所を一人の人間が独占するとは何事か」と言うお叱りを受けた。

もちろん不可抗力で言いがかりではあったが、結果としていかがなものかということになった。
ギャラリー運営委員会でもこのことが議題に挙げられ議論されたようだ。
最終的には、各ギャラリーの判断に任されることになった。

そのうちのひとつだったオリンパスのギャラリー担当が山下さんだった。
「うちは全く問題ないよ、ちゃんと審査を受かっているんだから」と私を擁護してくれた。

あと二つのギャラリーも問題はないとされたが、当の重鎮のギャラリーだけは中止になった。
その後も「君は質より量だね」「ギャラリー荒らし」「お金持ちだね」なんて来場者から中傷されたり揶揄されたりもした。

31歳の若造が写真界から受けた試練だったが、山下さんが笑顔で励ましてくれたことはありがたかった。
今となっては懐かしい思い出となっているが、その後の私と写真界の関係に大きく影響を与えた出来事だったことはまちがいない。

山下さんと一緒に撮った記念写真を見ているといろいろなことが思い出される。
シリウスに移られてからもこれまで4度の写真展でお世話になっている。

8月には山下さんが関わってくれた最後の写真展「インドネシア戦跡巡礼」がおこなわれる。
私の今があるのも山下さんはじめいろいろな方との関わりがあったからこそだとしみじみ思う。

シリウスギャラリーでの最大の思い出といえば、2010年に開催した「上原良司と特攻隊」写真展の時。
山下さんのご配慮で通常一週間の会期のところを企画展でもないのに二週間の会期を与えていただいた。

期間が長かったために朝日・読売・毎日新聞、NHKテレビ・ラジオなどマスコミで大きく写真展を取り上げていただけたので連日会場は盛会の状況だった。
問い合わせの電話が殺到してご迷惑をかけてしまったのも、今となってはうれしい出来事だったように思える。

山下さんとの思い出は尽きない。
このへんで筆をおこう。


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[ 2017/04/29 ] 個人 | TB(-) | CM(0)

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